いや、ギャングとして生きるしかなかった者たちの背景を真面目に描くのならむしろいいのかもしれない。
ギャングの性質を用いた雑なギャグ描くのが一番まずい気がする。分かりやすい例でいうと『極主夫道』みたいなの。
でも自分の中でよく浮かんだり描きたいと思うのってそういうギャグ系統ばかりなんだよな……だから罪悪感がすごいのかもしれない。笑い事じゃないだろ今、って正気に戻ってしまう。
まあ昔からギャングが社会問題としてあるイタリアでは、今に限らずずっと笑い事じゃないわけだけど。
他人事だったってことだよな、自分も。